今日は私のストーリーを公表します。ストーリー1生い立ち(幼少期から高校時代)

生い立ち

私は1975年12月30日に千葉県で生まれました。

生まれた頃の記憶はなく、記憶があるのは4歳の頃から。

4歳の時は大阪にいました。

家庭の中はいつも父と母が喧嘩して、父が母に家を追い出され、父が何日も帰ってこない生活。

私も子供なのではしゃぐと「うるさい」と言われ母に叩かれることが多かった幼少期。

いつしか母の顔色を伺い、自分の意見を発することが出来ない子になりました。

そんな子供だったので「おとなしい子」「控えめな子」と言われ小学校では目立たない子でした。

毎日のように男の子にランドセルを持たせられたり蹴られたり散々な毎日でした。

そんな母が何も取り柄もなくおとなしい私を気にしてピアノや塾など行かせてくれました。

ただ自分がやりたいことではないし、スパルタ教育のところに入れられ先生に怒られてばかり。

「今日も怒られる」そう思うとびくびくしていました。

出来ないから習い事先でもいじめの対象になり、暗い毎日でした。

家に帰ると父と母の喧嘩、母の虐待、家でも学校でも針のむしろだった小学中学校時代。

褒められたこともなかった気がします。だから自分は学校帰り歩きながら「今ここで車がわたしをひいてくれたらいいのに」と思うけど飛び出す勇気もなく。

勉強もできない、運動もできない私は、これ以上いじめられたくないと自分を守るために部活もすることなく帰宅部で「自分なんのために生きてるのだろう」そう思う毎日でした。

高校は勉強ができなかったので、1時間半電車に乗って通う私立高校へ。

大阪の高槻市の自宅からバス乗って、電車2つ乗り継いでいく高校生活。

私の行っている高校は偏差値の低い不良高校

ただ友達はできました。友人は髪を染め、ピアスを開け、化粧をし、タバコを吸うお友達。高槻駅では高校入学したばかりのころ私をいじめる別の高校へ通っている中学の同級生に出会い、足をわざと踏んできたり当たってきたりと嫌がらせをしてくる人がいたので「こいつをギャフンといわせよう」そう思い私も髪を染め、ピアスを開け、化粧をしました。

そしたらその同級生は私に出会わないようになり、聞いたところではバスの線を変えたようです。そして出会っても私と目をあわせないようにしていました。

ただ心のなかでは自分は泣いていました。友達ができても合わせて自分を出せませんでしたし、しんどいと思いながら付き合っていました。

そして高校時代は両親は喧嘩ばかりして毎日家に帰ると自分の部屋に引きこもりました。高校2年になり父と母は別居となり離れて暮らすこととなり私は母と暮らしました。

母はもともと料理が好きではないと言っていたのですが、その頃から母は料理をしなくなり毎日スーパーの惣菜を食卓に広げ、母はストレスからか毎日たくさんお酒を飲むようになりました。

私もそんな母を見て反抗して、母と取っ組み合いの喧嘩もたくさんして叩かれ過ごしました。

ただ偏差値は30台の高校でしたので、成績は良い方で、いじめに耐え抜いた私だったからか持久走大会では表彰を受けるくらい早かったので少しだけ自分が好きになっていき心から信頼できる友人はできなかったけど晴れて高校卒業、そして大学へ入学できました。

関連記事

  1. マイストーリー2 薔薇の大学時代

  2. ストーリー4 保育園経営時代

  3. マイストーリー6 序章

  4. マイストーリー3 社会人から結婚まで

  5. マイストーリー5 保育園を手放してから今に至ります